2025年4月13日(日)、大阪・関西万博がスタート!
コンセプトは、人間一人ひとりが、自らの望む生き方を考え、
可能性を最大限に発揮できるようにするとともに、
こうした生き方を支える持続可能な社会を、
国際社会が共創していくことを推し進めること。
この日、未来の種は、蒔かれました!
万博には、ヒト・モノ・文化を呼び寄せる求心力があります。
さて、日本が初めて万博に参加したのは、1867(慶応3)年。
フランス皇帝ナポレオン三世からの招聘による、
第2回パリ万博のこと。茶や陶磁器や浮世絵などが出品され、
これが、ヨーロッパにおけるジャポニスム、
日本ブームの契機となったのです。
そして1873年ウイーン万博では、明治政府がはじめて
正式に参加を表明。浮世絵、錦などの染織品、
漆器、櫛、人形などの工芸品をはじめ、国宝級の
宝物や陶磁器などの美術用品、生活雑器なども展示されました。
さらに1,300坪の敷地に神社と日本庭園を造り、
白木の鳥居、奥に神殿、神楽堂や反り橋などを配置しました。
これらの選定はオーストリアの公使館員・シーボルトが行い、
ドイツ人ワグネルの指導によるものでした。
ワグネルは、日本的で精巧な美術工芸品を中心に
日本全国から優れた工芸品を買い上げました。
結果、神社と日本庭園は大評判となりました。
皇帝フランツ・ヨゼフ一世と皇后エリーザベトも来場し、
開催後に完成した反り橋の渡り初めを行いました。
万博終了後、イギリスのアレキサンドル・パーク商社が
日本庭園の建物をはじめ木や石の全てを買いあげました。
こうしてジャパネスク・ガーデニングはヨーロッパに紹介され、
一大ブームを形成することになります。
ともすれば、現在、海外のガーデニングデザインに
注目が集ま異がちですが、万博のこの年、原点に還り、
もう一度日本庭園のよさを見直すのもいいと思います。
庭園長 国司 淑子(くにし としこ)